方法序説 (岩波文庫)
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商品カテゴリ: | 人文,思想,学習,考え方
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セールスランク: | 7267 位
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読みにくい古ぼけた・・・
通勤電車で読める本と思ったのが失敗の元
段落が切れない、延々と続く文章
ふるぼけてしまった内容
失敗・・・
落ち着いた環境でゆっくりと読むべき本なのでしょう。
残念・・・
コギト・エルゴ・スム?
解説(P135)によれば、「デカルト哲学を祖とする近代思想の超克や解体、あるいは脱構築が問題となり、さらには科学技術文明の弊害、たとえば環境問題や自然破壊、はては医療への不信、倫理の不在までも、デカルト主義をその思想基盤とする見方さえある。」とある。「理」を重んじるデカルト主義がなぜこのような批判を受けるのか。たとえば、デカルトの「理」は科学技術に結びつく合理的思考であることから、科学的知識欲の充足に傾くあまり、道徳・倫理を軽視し、現代に至って矛盾が噴き出してきたということなのか?
また、「われ思う、故にわれ在り」という格律も鵜呑みにしてきたが、それに対しても批判的検討が必要だと思った。
我思う故に我在り
「我思う故に我在り」は、あらゆるものを疑ったとして、その疑っている自分自身を否定することができないものとして残ったという消去法的な考え方だと理解しています。
それ以来、この考えを超える考えに至っていません。
ただし、天上天下唯我独尊と何が違うかは解っていません。
きっと、デカルトを批判している人の書物を読まないと、超えられないのかもしれません。
哲学が専門ではないので、とても超えられません。
精神宇宙
地球から離れて、デカルトという宇宙を巡ったような感情を味わった。
読者を怒濤のように襲う感情。それが次々に与える場面に驚きつつ、ジェットコースターのようにうねる。
ドキュメンタリーのように吐露する言葉は心を動かされた。
総てを疑っても考える我は在る さらに神も在る
「我思う故に我在り(Cogito Ergo Sum)」或いは「心身二元論」で有名なルネ・デカルト。本書にてそれは第四部で詳細に説明されます。しかし「私」は不完全なものとして、「私」が考えうるあらゆる完全性をそれ自体のうちに具えている神なる本性により生成された存在であるという形而上学を力説してゆきます。
―「我思う故に我在り」―、すなわちそれは、世のあらゆる事象や夢、或いは自分自身の存在をも懐疑したとしても、それを懐疑している「私」の存在は否定し得ず、すなわち「私」は身体(物体)や場所が無かったとしても、魂として存在する一つの実体である、というデカルト独自の思想な訳ですが、そうであっても神は絶対に存在し、「私」は神により生成され混沌から秩序へと至ったこの世界内の存在なのだ、と説くデカルトの思索に対して、個人的に「我思う故に我在り」は、無神論的思想、すなわち「神を否定しても「私」は在る」という思想だと勝手な先入観を持っていたので、意外な感を持ち、本書を読んだ甲斐がありました。
第五部では生前は未発表であった『世界論』の概略が書かれ、世界の複雑性というか、宇宙や自然の現象、機械的人体論、心臓と血液循環、理性を持つ存在である人間とそうではない動物の差異などが書かれていますが、正直一読の段階で理解は難しいです。
デカルトは学業修了後、紙による薀蓄だけでは哲学は無意味として、旅に出てあらゆる職業の人たちと交わったと第一部に書かれていますが、彼は「他人を幸せにしない思想に意味はない」と言い、また巻末にも「私は偉くなりたいと思わない」とも書いており、本書全体から、デカルトの優しさというか誠実な人間性を感じ取ることが出来ました。第四部だけでも読む価値はありますが、こういった面からも本書を楽しむことが出来ると思います。
岩波書店
哲学原理 (岩波文庫 青 613-3) 論理哲学論考 (岩波文庫) パンセ (中公文庫) 形而上学〈上〉 (岩波文庫) 形而上学 下 岩波文庫 青 604-4
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